先日奥伊勢へプチ旅行してきました
。

寄りたかった場所があったため早めに出てずっと訪れたかった三重県多気郡の『三瀬館跡』へ。
ここは名門北畠家の終焉の舞台となった場所。
織田信長と戦った伊勢の大名北畠具教(とものり)は信長の次男信雄を養子に入れることで和睦し(乗っ取り
)

この三瀬の館で隠居をしていたものの信長の指示によって信雄の放った刺客に襲われて亡くなりました(1576年11月)。
具教は相当の剣豪でしたが、襲撃された際一太刀を避け剣を鞘から抜いて反撃を試みるも鞘に細工をされ抜けなかったと言われています、さぞ無念であったかと。
その後残りの一族も襲われ北畠親房、顕家を先祖に持つ名門は滅亡しました。
とりたてての見処はありませんが、その地に立って昔そんなことが此処であったんだぁと黄昏れるのが良いのです
。

直ぐ近くに北畠具教の胴塚がありました、合掌。

茶畑が拡がる山の中腹にある



石垣が残っている

数段の平地


北畠具教胴塚 直ぐ隣が民家😮


北畠具教胴塚